平日お昼にサッと読む どろんぱの散文

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「偽善」と「親切」の延長線上にある本質のようなもの。

いいことを書きそうな記事タイトルですがそうでもありません。

人のために何かをする時、「自分は今いいことをしている」と心の中で思うこともあれば、後で「これは割に合わない!」と、つい見返りを求めたこともある私が、偽善と親切について考えてみました。

無意識、本能的な行為


お年寄りに席を譲ったり、人がなだれ込む間、エレベーターの「開」ボタンを押し続けたり、背の低い人に代わって棚の上に荷物を上げたり、スペアの傘を同僚に貸したりという、一般的に「親切」と呼ばれる行為。

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相手のためを思う、という「親切」の前提のようなものがありますが、こういう行いは直面したら咄嗟にやっていることがほとんどです。

もはや相手のためになるという意識すらなく身体の中に溶け込んでいるものなんですが、その行動に対して「ありがとう」という言葉が返ってきます。

 

偽善と人は言うけれど


前述の通り、私は誰かに何かをする時「いいことしてるかも」とか思いながらやっているフシが。

それでもその行動に対して「ありがとう」という言葉がやはり返ってくるのです。場合によっては「ご親切に」と言われたり。つまり相手には親切と受け止めてもらえていたことになります。

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そうかと思えば好感度の低い芸能人がいいことをすると、「裏がある」とか「偽善」とか言われる世知辛さ。物差しを持っている人次第で、親切の定義は変容するのです。


一日一善という四字熟語


「親切にしよう」と意識している時点で自然ではないのかもしれませんが、だからと言って偽善でもないし、実際に行動に移せるのは素晴らしい精神だと思います。

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その行動によって笑顔になったり救われる人がいるということが重要。

一日一善というスローガンのもと、意識的にそれを習慣化しようとしている人は尊敬に値します。

注意点


良かれと思っての自然な行いがお節介と受け取られたり、思いやりからくる行為が必ずしも親切に繋がるわけではない、という逆パターンも。

押し付けすぎないさじ加減や、できる範囲で相手の気持ちを推し量るということも大切です。

まとめ


動機や心情はどうあれ、いいことはした方がいい。やらない善は、悪意のない偽善には到底適わない偽善と親切の延長線は意外と早い段階で交わりそう。

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ありがとうと感謝され、相手が笑ってくれるのであれば、偽善だろうが親切だろうが結果としてそれが人助けになり、誰かの喜びに繋がるという事実が最優先だと思います。

 
今日の名言。

 


人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ。

夏目 漱石